朝クラ
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イタリア留学情報ページ『Vissi d’arte, vissi d’amore』Vol.4 ~先輩へのインタビューその2~

こんにちは!昨年秋からイタリア・ミラノ留学中の清水優美(しみずゆみ)です。

新しい年になり、来年度からイタリア留学を考えている方にとっては、準備が本格的に始まろうとしている時期でしょうか。いつか…と考えている方も、春や夏の講習会に向けて情報を集めるのもいいかもしれません。

さて今回も、前回に引き続き、イタリア留学経験のある先輩へのインタビューです!

 

国立音楽大学卒業後、ぺスカーラ音楽院への音楽留学、シエナ外国語大学への語学留学と2度の留学を経験された、小川明奈(おがわ あきな)さん。イタリア在住6年目の現在は、通訳・翻訳、日本語学校の講師としてご活躍されています。

 

 

海外留学のきっかけ

―この度は、ご多忙の中インタビューをお引き受けくださり、ありがとうございます。2度のイタリア留学をご経験された明奈さんですが、きっかけはありましたか?

 

高校一年生の時に、音楽の道に行くと決断して、声楽のレッスンに通い始めたのですが、その時から、師匠の進めもあり、将来的にイタリアへ行くことを考え始めました。進路を考える段階で、日本の音楽大学に進む道と、すぐにイタリア留学をする道を考えましたが、悩んだ末に国立音楽大学に進学しました。

 

 

大学時代のこと

―国立音楽大学での大学生活はどのようなものでしたか?当時の心境などもぜひお聞かせください。

 

入学前は勉強したいことがいっぱいで待ちきれない!という気持ちでしたが、地元を離れ一人暮らしを始めたこともあり、入学式一週間前にホームシックになりました(笑)

(インタビューは明奈さんが教えてくださったミラノのサン・ピエトロカフェにて)

 

でも、大学が始まってからは、寂しさを力にかえてがんばろう!と気持ちを切り替え、勉強に励むことができました。「私の声を聴いたイタリア人に、(自分が)イタリア人だと思われるようになりたい」と思い、歌のレッスンはもちろん、イタリアに関する文化や歴史の勉強、語学にのめり込みました。

 

最大の理解者だった祖母を始めとする、多くの方々に支えられた大学生活でした。その祖母の病気が発覚した大学2年目から、好きで始めた勉学をきっかけに何とか生きていく道を見つけなければ、とさらに必死になりました。

大学の授業では、特にイタリア語の一ノ瀬先生との出会いが大きかったです。先生にアドバイスをいただき、単語を調べるときは、辞書の隅から隅までノートに書き写し、母音のアクセントや歌詞の韻律など徹底的に勉強しました。週末は、九段下のイタリア文化会館で誰も読まないような1960年代の韻律の本を読んだり(笑)、ずっと大学の図書館にこもったり…。もともと本や歌詞を読んで言葉に触れることが好きだったので、イタリア語や翻訳日本語に向き合う時間ができてとても充実した大学生活でした。イタリア・ヨーロッパの歴史・文化を根本から学びたくて、建築や美術史、ギリシャ神話、宗教などの授業も積極的に受講していました。

 

(モッツァレラチーズの中に生クリームが入った、ブッラータチーズ。まろやかな美味しさ。)

 

また、大学4年生の夏、一ノ瀬先生のご縁で、初めて通訳のお仕事を経験しました。先生のイタリア人のご友人の、息子さんたちが日本に旅行に来ることになったのです。ちょうど同世代だったこともあり、任せていただきました。私にとって、この時に初めてイタリア語が「インプット」から「アウトプット」になり、同時に通訳という仕事の大変さに少しだけ触れることができました。

 

(初通訳から数年後、再会時に撮影。1番右が現在のご主人。)

 

 

念願のイタリア留学

―国立音大卒業後、念願のイタリア留学を決められたのですよね。留学準備はどのようにすすめられたのですか?

 

元々、YouTubeの動画を拝見して、師事したいイタリアの声楽の先生がいらしたので、日本の先生にご紹介いただきました。その後、音楽院の手続きなどはイタリアの先生と直接メールで準備をすすめました。(ぺスカーラ音楽院への留学時)

 

(ぺスカーラの街並み)

 

ビザを取得するための語学学校の手続きもしました。(※イタリアは、3ヶ月以上就学ビザで滞在する場合、週20時間授業を受けなければならないという条件があります。) メールでのやり取りです。住むアパートも語学学校が斡旋してくれました。

 

(語学学校の先生たちと)

 

手続きは色々と大変でしたが、「イタリアはすぐそこにある!」という気持ちと、「日本にはないイタリアのスローな感じに慣れる」ことを心がけました。

 

 

―私も、イタリア側からの郵便の返信の遅さには悩まされました(笑)留学開始後、実際の生活はどのような感じでしたか?

 

ペスカーラでは、キッチン・シャワー・トイレが共用のマンションに住みました。イタリアのシチリア出身のホテル従業員研修生や、大学院留学に来ていたチリ人と生活を共にし、音楽とは違うジャンルのことを学んでいる人と友達になることができました。

 

 

帰国後、東京で就職

―半年間のペスカーラでの音楽留学を終えられて、帰国。東京でアルバイトをしながら、就職活動、そしてワイン関連の会社に就職されました。

 

両親に費用を全額負担してもらって叶った留学だったので、当初から6ヶ月後に帰国する予定でした。実は留学中、イタリア企業から翻訳・通訳のアルバイトを頼まれたことがあるんです。その仕事が無事に終わった時にはそれまでに味わったことのない達成感を感じました。その後6ヶ月が過ぎ、予定通り日本に帰るか本当に悩みましたが、日本でまずはどんな仕事ができるか挑戦したいと思い帰国しました。帰国後はホテルの受付でバイトをしつつ、イタリア語に関する仕事を探しました。イタリア文化会館、ダンテ協会でのアルバイトスタッフをしながら就職活動を行いました。帰国してからさらに強く明確になったイタリアへの想いを胸に、果たして自分には何ができるのか、ドキドキしていました。イタリアの某アパレルブランドと、イタリア自然派ワインの輸入会社の面接の合格の知らせが同時に届き、一番自分らしくいられる分野のワインを選びました。イタリア留学中に日常的にワインを飲み、より身近な存在になったからです。

 

 

―その後、シエナ外国人大学へ再度、語学留学。その時の心境などお聞かせください。

 

就職した会社での仕事や当時のプライベートでの様々な出来事をきっかけに、まだ自分にはイタリアでできることがあると思い、イタリアに再度渡ることにしました。シエナ外国人大学に留学した理由は、日本で結局何もできなかったと落ち込んでいた時、2009年の通訳の仕事で大親友になったフェデリコに相談したら『シエナはいいところだし、もっと勉強する時間を作ってからイタリアで、もう一度仕事のことを考えたら?』とアドバイスされたことがすっと腑に落ちたからです。それまでに考えていた不安や悩みが消え、もう一度体当たりで頑張ることにしました。

 

 

 

現在のお仕事を始めたきっかけ

―イタリアでは、いつ頃からお仕事を始められたのですか?

 

シエナに留学した2013年の秋、住んでいた市の関係で、通訳のお仕事を頂きました。その後、少しずつお仕事の依頼が入るようになりました。日本の元就職先の先輩からイタリアでの通訳・アテンドの依頼を頂いたことがきっかけで通訳としての道が広がり、本当に感謝してもしきれない気持ちです。

 

(初めてのワイナリーでの通訳の様子)

 

 

―通訳のお仕事で、大事にされていることはありますか?

 

通訳の仕事の際は、お客様のリクエストを大切にしています。事前打ち合わせの後は準備と専門知識の予習を日本語とイタリア語で行います。

例えば、ワイン関係の仕事では、生産者とのやりとり、展示会の主催団体や内容、客層に関するリサーチやチケットの値段等費用の確認を行います。それからホテルの予約や移動時間を含めたスケジュール管理、運転手付きのバスをチャーターしたりなど、お客様のリクエストに応じて色々な対応をしています。移動のためのレンタカーでの運転も承るようになりました!

 

(全ページにぎっしり書き込まれたノート。)

 

―想像をはるかに超えた準備量には、ただただ驚きました…!

 

そうですね…今はワイン、食べ物、音楽関係の仕事を主にお引き受けしています。ジャンルを増やすことで、仕事の量も増えるかもしれないのですが、深い知識がないままお引き受けしてしまうと、意訳をしてしまったり、お客様に誤解を与えかねないので、今は3つに絞っています。

 

(通訳の際の仕事道具。すぐに書けるようにペンは首にかける。)

 

 

お客様の目的に沿った便利なサービスであり続けたいと思うので、毎回挑戦と発見の連続です。通訳するときに常に心がけたいのは

1.できる限り全員に満足していただくこと

2.イタリアでの思い出を良いものにしてもらうために、お土産や写真を撮る時間を確保すること

3.イタリアのローカルなもの(食べ物など)の情報をきちんとお伝えすること です。

長い目でみて、自分自身がイタリアと日本に関わることを考えて行きたいので、常に人のためになるか?ということを考えています。特にワイン通訳の仕事に関しては日本でお世話になっていた方に声をかけていただいたきっかけで始まったので、これからもしっかりと恩返しできるように努力していきたいです。ワインやワインを取り囲む方々のおかげで、日本とイタリアの繋がりにおける通訳の役割についてだけではなく、自然環境や生物の神秘など自分の生きる世界についての理解が深まり、自分なりに貢献していきたいと思うようになりました。お客様の訪問目的や専門分野の知識を知っていくにつれ、日本とイタリアでの皆さんの日々の取り組みに対する心からの尊敬が生まれました。失礼のないように気を付けながら、イタリア語と日本語でのコミュニケーションにおいて出来る限りお役に立ちたいと思っています。

 

 

ミラノに移住。日本語講師も

―2014年のご結婚を機に、トスカーナからミラノへお引越しされ、日本語講師もはじめられたのですよね。イタリアで合法に年間5千ユーロ以上の収入を得るための労働許可Partita IVA(パルティータ・イヴァ、個人営業労働許可及びイタリア商業税番号)も取得されました。

 

はい。イタリア語が大好きですが、日本語にも同じくらい興味があります。

ミラノの語学学校で月~土曜日まで毎日教えています。学校外での生徒さんも少しずつ増えてきました。レベルは、初級から上級まで幅広いです。イタリア人にイタリア語を使って日本語を教えなければならないので、イタリア語で書かれた日本語に関する教材や書籍を読むようにしています。イタリア人にとって日本語を学ぶことは、アルファベットとは違う文字を一から学ぶことになり、とても難しいようです。レッスンは、「生徒さんとの共同作業」なので、イタリア人にわかりやすいような、受け入れてもらえるようなレッスンを心がけています。

また、それぞれの目的(日本の文化への興味、仕事、日本語検定のためなど)に合わせたレッスンをすることも大切にしています。

 

(ご結婚された時にご家族と。)

 

 

集中力の高め方、モチベーションの保ち方

―イタリアで生活していると、常に自分の気持ちを穏やかに保つのはなかなか大変だなぁと思うこともあります。明奈さんにとってのストレス解消法はありますか?

 

集中力を高めるときは、パソコンでの作業中は携帯のインターネットをオフにしたり、疲れたときはあえて、移動中に本を読んだり音楽を聞いたりしないようにしています。忙しい時ほど「切り替え」を意識したいですね。

 

モチベーションを高めるときは、隙間時間や寝る前に読書したりしています。それから前向きに闘志を燃やすために、最近は時々ブルーハーツを聴いたり(!)しています。

 

明奈さんオススメ本↓

(旅をする木/星野道夫 文春文庫)

 

―明奈さんがブルーハーツとは意外でした!(笑) ランニングも長く続けていらっしゃるのですよね。

 

毎朝30~40分くらい「続けること」を大切にして走っています。1日のはじめにランニングをすると、頭がスッキリして、その感覚が一日中続くので好きです。同じ時間に家を出ると、毎日顔を合わせるランナーたちがいて、仲間のように感じるのも嬉しいですね。

 

(日々感じたことを綴るノート。イタリア語で書かれたものは、イタリア人のご主人に添削してもらうそう。)

 

―素敵な習慣ですね。私も見習わなきゃ!(笑)今日は色々なお話をお聞かせくださって本当にありがとうございました。明奈さんの留学時代から、お仕事のことまで、大変充実したインタビューになりました。

 

プロフィール

1988年三重県生まれ。15歳よりイタリアオペラ・民謡歌手に憧れ、声楽の勉強を始める。国立音楽大学卒業後、ペスカーラ音楽院に半年間聴講生として留学。イタリア語や食文化の魅力に強く惹かれる。帰国後は東京イタリア文化会館、ダンテ・アリギエーリ協会でスタッフを務めた後、イタリア自然派ワインを扱う輸入会社で事務職を経験。2013年にイタリアへ移住。