朝クラ
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株式会社 ヤマハミュージックジャパン 音楽の街づくり事業「おとまち」プロジェクトを手がけた 佐藤雅樹氏インタビュー「音楽をきっかけにコミュニティをつくる」

ヤマハが取り組む音楽の街づくり事業、「おとまち」。おとまちを立ち上げ、10年にわたってプロジェクトリーダーを務めた佐藤雅樹さん。

このたび退任を迎えた佐藤さんへ、おとまちを振り返ってのインタビューをさせていただきました。音楽による地域貢献の実現に取り組んだおとまちのリーダーは、どんな思いで事業を立ち上げ、プロジェクトを進めてこられたのでしょうか。

 

「おとまち」について

ヤマハ音楽の街づくり事業、通称「おとまち」は、音楽が持つ人と人をつなげる力を活用し、地域活性や企業と社会の共有価値の創出を行っている。活動は多岐にわたり、コンサートホールの活用や、屋内外でのイベントやワークショップの提案、地域の音楽資源を活用した街づくりと、さまざま。プロジェクト事例として、「春日野音楽祭」「渋谷ズンチャカ!」等多数。

https://jp.yamaha.com/sp/otomachi/

 

―おとまちの立ち上げについて教えてください。

バブル経済期に、地域振興を目的として各市町村に1億円が寄付される、いわゆる「ふるさと創生1億円事業」が行われ、地方に建物がたくさん作られた時代がありました。その折に、コンサートホールも各地に建設され、それをうまく活用するにはという観点で、公共事業と音楽の関係をより考えるようになりました。そのころから、「おとまち」という名前を使い始めていました。

 

2008年に、音楽の街づくり事業「おとまち」をヤマハで新規事業として立ち上げたものの、それから3年ほど大きな進展はありませんでした。おとまちにとって大きなターニングポイントになったのは、2011年の東日本大震災。震災をきっかけに多くの方の意識が変わり、地域社会でのコミュニティがより重視されるようになったことで、多数のお問い合せやご相談を頂くようになりました。

 

今後も起こりうる自然災害や、少子高齢化、格差や貧困といった社会課題が日本で深刻になることに備え、そういう時代に音楽が果たせる役割を改めて考えるべきだと思っています。

 

―おとまち以前は、どのようなことに取り組まれていましたか。

インテリアのデザインを担当していました。ヤマハはかつて家具事業を展開しており、高級家具や調度品を製造していました。私はホテルや美術館など公共施設の家具を扱っていて、地方自治体との関係づくりも行っていました。どうすれば地域にとってプラスになるかという観点が常に求められ、ホールや図書館といった公共施設を建てるときは場所の検討から関わっていました。このときの経験が後のおとまちの仕事に役立ったと思います。

 

家具部門がヤマハから独立分社化する頃、私はヤマハの音楽関連の部門に異動することになり、より音楽に近い仕事をするようになりました。

※家具事業は、ヤマハリビングテック(株)(1992年設立)に、後にトクラス株式会社へ商号変更し、別会社として独立。

 

―おとまちで印象に残っている事業を教えてください。

おとまちの仕事としてだけでなく、私の人生においても大きな意味があったプロジェクトの一つは、奈良の春日大社で開催した「第1回春日野音楽祭」です。

※春日野音楽祭…世界遺産春日大社で20年に一度行う「式年造替」を市民の手で祝うために企画された音楽祭。「式年造替」とは、春日大社768年の創建以来行っている御殿のご修繕のこと。春日野音楽祭では、「奉納演奏」として150組1,000名以上のミュージシャンが参加した。

 

20年に一度の大行事というと、非常に長い時間の中でコミュニティを考えることになります。20歳の人は、前回の式年造替のときに生まれていないくらいの長さですから。

おとまちが春日大社をはじめとした地元の方と街づくりを議論するためには、まず土台である地域の歴史や、土着の文化を深く理解せねばなりませんので、懸命に学ぼうと努めました。1250年以上というとてつもなく長い歴史を築いてきた例祭に携わらせていただいた経験は、仕事としても、私の人生においても重要なプロジェクトだったと感じます。

 

また、「渋谷ズンチャカ!」もおとまちにとって重要な音楽祭の一つです。

※渋谷ズンチャカ!…”1日だけの音楽解放区。”をテーマに、渋谷を舞台に開催される音楽フェス。音楽が聴けるだけでなく、通りがかりの人も含め、その場を共有する人たちで一緒に歌ったり、演奏したりできる参加型の音楽フェス。

 

“100年に1度”と言われる渋谷の再開発が始まった頃、これからさまざまな場所が工事現場になる渋谷で、人のつながりが希薄になっていくのではという課題があり、音楽で渋谷の街を盛り上げたいと当時の渋谷区長からおとまちに相談がありました。自治体、渋谷駅周辺の商店街、NPO法人であるシブヤ大学、そして渋谷の街を良くしたいという思いで集まったボランティアスタッフ「チーム・ズンチャカ!」のみなさんで、渋谷という地域全体を視野に入れて取り組んだスケールの大きなプロジェクトです。

 

「春日野音楽祭」では長い時間をかけてじっくり取り組ませていただきましたし、「渋谷ズンチャカ!」では広いエリアを舞台に、その地域に関わる人にシンパシーを寄せて企画を提供する…というような、普通の生活をしていては関われないような仕事ができたことは大変ありがたく、興味深かったですね。

「渋谷ズンチャカ!」を担当するおとまちメンバーの細田さん(右)

 

―プロジェクトを組成するときに、どのようなことを重要視していますか?

どのプロジェクトも、地域のことを深く知り、考え抜いて作られています。私たちの仕事はいわゆる「プロジェクトマネジメント」に当たると思いますが、一般的なマネジメントというと、ハードを扱うものが多いと思います。建築物など、目に見えるモノを制作するためのプロジェクトです。一方おとまちは、ソフトを扱っています。建物ができることは重要ですが、その建物にどんな魂を入れるか、まではなかなか取り組めていない企業が多いのも実状ではないかと思います。

もちろん、建築物あってこそのソフトなので、デベロッパーなどハードを作る会社の担当者とさまざまに議論しながらプロジェクトを進めます。そうした会社の担当の方も、「このプロジェクトを受注したら、会社で評価される」という一会社員としてのモチベーションだけでなく、その人の家族や友人から「素敵な仕事をしているね」とほめてもらい、誇りに思われるような仕事を一緒にしませんか、とお話ししています。

 

欧米では建築家という肩書を持つために、その地域で一定期間住んでいる、歴史を学んでいるといった条件が含まれることがあります。ですが、日本の場合は、建築士の資格があれば、どの土地の建物も担当することができます。本来であれば、その土地やコミュニティのことを知ったうえで建物を作るべきではないでしょうか。そうでなければ、建物を作っても長く残らないと思うのです。その土地に対する深い理解がなく作られたものは、それなりの寿命でしかありません。作り手が地域のことを思い、考え抜いて世の中に生み出したものは、長く残っていくと思います。

 

これまで多くの経験を積ませていただき、今ではさまざまなご依頼をいただくようになりました。ただ、ヤマハという企業でできることの限界もあり、地域に踏み込み切れないときは、実働は地元にお任せして、おとまちはアドバイザーという立場で関わらせていただく場合もあります。

 

 

―おとまちに取り組んでいて、どんなときに最もやりがいを感じますか?

ヤマハ1887年の創業以来、130年以上の歴史の中で多様な資産が蓄積されてきましたが、その中であまり日の目を見てこなかったリソースに気づかせてくれるようなプロジェクトは特にやりがいを感じますね。おとまちでできることと、社会のニーズがうまくマッチして社会にインパクトを与えられるときは大変喜びを感じます。

 

これまで、株式会社として、株主・投資家に対する価値は実利的な配当が中心とされてきましたが、昨今は社会的・環境的な価値も重要視されつつあります。株主にとって、投資先の企業がどれほど地域社会に影響力を持っているかも、投資先を選ぶ基準の一つになっているということです。2019年4月からのヤマハの中期経営計画においても、おとまちのコンセプトにも沿った、社会的価値の創造を目標に置いています。おとまちが、ヤマハの社会的価値の向上やブランディングに貢献している取り組みのひとつであることを喜ばしく思います。

 

かつて、震災をきっかけにヤマハ社外の方々からのおとまちへの関心は高まりつつあったものの、社内ではおとまちのコンセプトがなかなか伝わらず「イベントを企画している部署」としか認識されていませんでした。ヤマハ社内におとまちが認知されたきっかけは、2015年の社長表彰で「New Value Creation賞」を受賞したことでした。それまでのヤマハの長い歴史の中では楽器の開発・製造・販売での視点が主でしたが、おとまちは「社会的価値」という全く新しい価値をヤマハから創出したということでの表彰でした。今やおとまちのコンセプトを体現することがヤマハ全社の経営計画の目標とも重なっているのですから、続けてきて良かったと心から思います。

 

―今後、おとまちがどう成長していってほしいですか?

ヤマハミュージックジャパンおよびヤマハを志望する新卒学生のなかに「おとまちの仕事に携わりたい」という方が多くいます。それほど魅力に感じてもらえる事業なら、より社会的価値を考える方向に進んでいくべきではと思うのです。

冒頭にも申し上げた通り、これからますます社会課題が深刻になる日本において、コミュニティの存在がより重要になっていきます。おとまちのプロジェクトは、きっかけに過ぎませんが、そのプロジェクト活動を機に地域のコミュニティを築くことで、災害など予期せぬことが起こった時でも、人のつながりが人を守ることになるかもしれません。

 

 

―「おとまちのプロジェクトリーダー」という役割を離れ、これからどんなことに取り組みたいですか?

私がヤマハの一社員としてやってきたことは、「イントレプレナー」としての役割でした。急激に変化する環境のなかで、企業もどんどん姿を変えながら新しい価値を創出し続けなければいけません。私にとっておとまちを推進することは、ヤマハという企業の姿を変えたい、という気持ちの取り組みでもあったのです。

 

もちろん、ヤマハという企業のもつ歴史、リソース、ブランドがある故にできたこともたくさんありました。個人になったこれからは、ヤマハの一員として踏み込み切れなかったことにも挑戦してみたいです。たとえば、地域におけるアマチュアオーケストラの役割や、音楽大学及び芸術大学の在り方を考えることなど…。取り組むテーマは尽きませんね。朝♪クラ~Asa-Kura~の活動とも、このインタビューをきっかけにご一緒できれば幸いです。