朝クラ
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世界で活躍する音楽家との対談 Vol.1~指揮者 マッシミリアーノ・カルディ氏~

こんにちは!イタリア・ミラノ留学中の清水優美(しみずゆみ)です。

今回は、世界で活躍する音楽家との対談シリーズとして、イタリア人指揮者のマッシミリアーノ・カルディ氏にお話を伺いました。

カルディ氏は、1967年イタリアのミラノに生まれ、音楽院を卒業した後、ポーランドのフィーテルベルグ国際指揮者コンクールで優勝。現在は、サブカルパティアン交響楽団 “A.マラヴスキ”の首席指揮者としてご活躍中です。

 

© Dariusz Kulesza

 

全2回にわたってお届けする今回の対談。前半では、音楽や指揮に目覚めたきっかけや師匠とのエピソード、ご自身のポーランドでのキャリア、後半ではイタリアとポーランドの音楽界の違い、新型コロナにおける音楽界の状況などをお話いただきました。

(対談は、2020年11月30日夜。カルディ氏は、ポーランド・クラクフ交響楽団とのライブストリーミングコンサートの為に滞在中であったクラクフのホテルから、スカイプで対談に応じて下さいました。)

 

-マエストロ、まず始めに対談をお引き受けくださりありがとうございます!早速ですが、指揮を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

カルディ氏)きっかけは室内楽で、ピアニストとして他の楽器と一緒に演奏し始めたことでした。私がミラノ市立音楽院で勉強していた時、合奏と室内楽の2つのクラスがあって、合奏クラスでは、ピアニストしてヴァイオリンやチェロの伴奏として参加していたのに対し、室内楽クラスでは、グループの一員として参加していました。室内楽クラスの授業が始まる前に、メンバーへ曲について気づいたことを言い始めるようになった時、1人でピアノの練習をしているときには分からなかった自分が求めていたものが、不意に分かったのです。 (自分にとって)音楽は、何よりもまず、何かを“共有”するものなのではないか、と。

この出来事は、私自身がソリストとして生まれたわけではないことを意味していました。ソリストは、ソリストなのです。11ヶ月にも及ぶツアー、連日続くコンサート、アメリカ、ヨーロッパ、どこへでも旅をして…イメージできますか?彼らは会場に到着して、ピアノを弾くだけなのです。どこの街にいるかさえもわからない状態ですね。一方で、指揮者はそうではなくて、最低でも1週間は同じ場所に滞在することができるし、(オーケストラの)メンバーの顔を見て、目を見て、表情を見て…常に何かを“共有”することができます。指揮台に立つ時は、緊張が緩み、自分は1人ではないと感じますし、メンバーの一員として音楽をすることができるのです。今朝のライブストリーミングコンサートのリハーサルは、彼ら(ポーランド・クラクフ交響楽団のメンバー)と共に、ベートーヴェンの音楽で良いスタートを切ることができました。なんと会場は、ちょうど20年前の12月の初めにも彼らと演奏していた、馴染みのある場所でした。

少し話がそれましたが、私が指揮に熱中したのは、ピアニストとしての室内楽の経験がきっかけでした。それと同時に、ピアノという楽器は私にとって、ただの音楽としての楽器ではなく、何か別のどこかにいくための”instrumental”である、と感じるようになりました。

 

(2017年ポーランド・ワルシャワにて©Bruno Fidrych)

 

-なるほど!それはとても素敵な考え方ですね。

カルディ氏)ピアノは、オーケストラの全てのパートをカバーできますよね。私が他の音楽家たちと、音楽を“共有する”ことをとても楽しんでいたこともあり、伴奏者としてピアニストを弾いていた時は評価してもらっていました。ピアノが技術的に完璧でなくても、ソリストに寄り添って、彼らのダイナミクスに慣れる。これは(指揮者として仕事をする)今でもソリストがオーケストラと演奏する時に意識していて、いつもソリストが “ああこんなに寄り添って演奏してもらえるなんて!”と言って下さいます。やはり私は、1人で演奏するより、誰かと演奏することが好きなのですよね。これは、私が1人っ子だということもあり、ピアノを1人で弾くより、音楽は他の人と共有する方が楽しいという想いが、人よりも強かったこともあるのかもしれません。

 

-とても興味深いです。音楽の勉強はどちらで、先生はどんな方でしたか?

カルディ氏)私は、ミラノ市立音楽院で、フランコ・ガッリーニ先生と勉強を始めました。残念ながら先生は4年前に亡くなりましたが、音楽家一家で育ち、お父様は有名な楽器と楽譜のお店を経営されていました。私がミラノ市立音楽院を受験した時、先生は私をクラスに入れてくださいました。そして1年目が終わる頃、学内のコンサートで指揮をしないか?と先生に聞かれたのです。先生は、自分のクラスで1年目の終わりに指揮をする学生は初めてだ、とおっしゃいましたが、私を信じて提案してくださったのです。でも曲目はなんと、ストラヴィンスキーでした…先生自身も(いきなりのストラヴィンスキーは)クレイジーだった、とおっしゃっていましたが、結果的には上手く行きました。このガッリーニ先生と、私の最後のピアノの先生であるパオラ・ジラルディ先生には感謝してもしきれません。優れた先生というのは、将来のために何をしてくれるかではなく、一緒に勉強していく中でより多くを残してくれる先生であると思いますね。

音楽院を卒業した後には、ペスカーラ音楽アカデミー(イタリア)のドナート・レンゼッティ氏や、シエナ・キジアーナアカデミー(イタリア)のチョン・ミョンフン氏、ユリ・テミルカノヴ氏のもとで学び、成績優秀者として修了しました。また、ウィーン音楽アカデミー(オーストリア)、伝統あるフィエーゾレ音楽院(イタリア)で行われた、“Young European Conductors”にも参加し、ダニエレ・ガッティ氏のもとで学びました。

ハンガリーやルーマニアにも行き、たくさんのマスタークラスを受け、その中のある先生から、アシスタントとして働くきっかけもいただきました。この経験は私にとって、とても貴重なものになりましたね。2年間ハンガリーに住み、お給料をいただきながら、その先生のアシスタントとして働いていましたが、よく“1週間後にドヴォルザークの交響曲第9番、シューマンの交響曲8番、ブラームスの交響曲第4番のリハーサルをよろしく頼む!”などとおっしゃる方で、通常3ヶ月かけて勉強するものを1週間で勉強したりしていました。ある時には、リハーサルの最中に突然、“じゃあ次は君が指揮をしてみて”とおっしゃって、私は動揺して思わず、“すみません、マエストロ、今指揮をしていらっしゃった曲は何ですか?”と尋ねたことがありましたね。素晴らしいオーケストラの奏者の方たちを前に緊張しながら、仕方なく指揮台に上がったことをよく覚えています。指揮をする前はとても難しそうなことの様に感じたのですが、最終的には上手く行ってしまって、そうすると、初見で上手くいくなら、これまで勉強してきたことは何だったのだろうか…と疑問が生まれました。でもこの疑問はもっと先になって分かりましたね。

私の(指揮の)アプローチは、作曲家のメッセージが分かるまで楽譜を勉強する(=“cleaning”する)ことです。私は現在、ワルシャワ大学の博士課程に在籍しているのですが、博論のテーマは、“Mascagni’s Cavalleria Rusticana: loyalty to the score or performing tradition?” で書いています。もちろん、“loyalty to the score” が私の答えで、マスカーニの自筆譜は、彼自身が作曲から50年後に指揮したものよりも美しかったと信じています。口頭試問は、残念ながら多くの大学生の皆さんと同じ様にズームで行われますが、ネクタイをつけて、家族を家に招いてやろうと決めています。

 

(2009年ポーランド・プシュチナにて)

 

-そうなのですね…勉強には本当に終わりはないと思いますが、ご自身のキャリアはどの様に始められたのでしょうか?

カルディ氏)私の初めてのコンサートは、1989年の6月2日、31年ほど前ですね。SNSなどはない時代でしたが、その日は”ビックバン”が起きた様な感覚で、そこからどんどん色々なことに繋がっていきました。もちろん、何かを始める時に(他の人からの)助けはいつも必要ですが、最初のコンサートの後に自分のことが新聞にも載るようになり、記事を切り取ってコピーしては、その後のコンサートの機会を得るために様々なところへ送っていましたね。

実は、これまで私が指揮をしたコンサートは、全てParkerの万年筆でノートに記録していて、今では1200を超えるまでになりました。最初の数年は、毎年2つか3つのコンサートしかありませんでしたが、その後60になり、時を重ねるにつれてどんどんスケジュールが忙しくなっていきました…多分キャリアはこういうものですね。キャリアの途中にいる時点では、どこに自分がいるのかも分からず、常にスタート地点にいる様な感じがする…夏休みに例えてみると、分かりやすいかもしれません。最初の1日目は「ああ、まだたくさん時間があるな」と思いますよね。でも8月15日くらいになってくると、「あれ、もうこんなに時間が経ったのか」と感じます。人生もそれと同じです。ふと、振り返ってみると、すでに30年が経っていたことに気づくのです。もし、時間の経過に気づいてしまう時があるとしたら、何かが間違っているのかもしれません。どこから始まったのか、何をしているのかも分からず、1つのことから自然に他のことがついてきたという感覚ですね。

 

(2020年ポーランド・クラクフ交響楽団とのコンサート前に)

 

-ポーランドでのキャリアも同じような感じだったのでしょうか?自然に広がっていったような…

カルディ氏)いえ、ポーランドは明確にこれだ、というものがありましたね。1995年の11月にカトヴィツェで行われた第5回フィーテルベルグ国際指揮者コンクールの為にポーランドに行ったのです。ポーランドという国に、それまで特に親近感を感じたことはなかったのですが、すぐに文化や音楽、若手音楽家のためのオーケストラや学校が多くあることに感心しました。残念なことに、その時はコンクール敗退に終わったのですが、4年後にもう1度トライして、優勝することができました。コンクール後に行われたコンサートは、全国にテレビ放映されたので、突然有名になり、全てがそこから始まりました。未だに、子供の頃そのコンサートの様子をテレビで見たという30歳前後の音楽家たちに出会うことがあります。彼らのご両親も「コンクールに優勝したイタリアの新星だって!」と言っていたそうで、彼らもこの出来事をきっかけに音楽を勉強しようと思ったそうです。

 

(1999年ポーランド・カトヴィツェで行われた第5回フィーテルベルグ国際指揮者コンクール優勝時)

 

前半は、音楽や指揮に目覚めたきっかけ、師匠とのエピソード、自身のポーランドでのキャリアについてお伺いしました。後半では、イタリアとポーランドの音楽界の違い、新型コロナにおける音楽界の状況などをお伺いしました。音楽を勉強する学生さんにも、メッセージを頂きましたので、どうぞお楽しみに!

 

© Dariusz Kulesza

 

Massimiliano Caldi (マッシミリアーノ・カルディ)
公式HP: http://massimilianocaldi.it
公式Facebook: https://www.facebook.com/massimilianocaldidirettore
お問い合わせ先: massimilianocaldi@gmail.com