朝クラ
朝クラ

世界で活躍する音楽家との対談 Vol.7 ~ルイーザ・プライヤー氏・マルチェッロ・ブッファリーニ氏~

こんにちは!イタリア・ミラノ在住の清水優美(しみずゆみ)です。
今回の世界で活躍する音楽家との対談シリーズは、ピアニストのルイーザ・プライヤー氏・指揮者のマルチェッロ・ブッファリーニ氏にお話を伺ってきました。

ご夫妻である両氏は、共にイタリア・ローマ出身。ルイーザ氏は、幼い頃からピアノを始め、ヨーロッパで名高い数々のアカデミーや音楽院で研鑽を積まれたのち、イタリア国内外での演奏活動を開始。何度も来日されたことがあるそうです。現在は、ミラノのヴェルディ国立音楽院で教鞭も取られています。一方、マルチェッロ氏は、ピアノや他の楽器も学ばれたものの、最終的には指揮の道を選び、現在も世界各地のコンサートでご活躍されているかたわら、イタリア・アブルッツォ州のラクイラ音楽院の教授として後進の指導にも精力的に取り組まれています。今回のインタビューは、ご夫妻がローマから2年前に引越しされたミラノのご自宅にてお話しを伺いました。

 

 

-この度はインタビューをお引き受けくださり、ありがとうございます!早速最初のご質問ですが、お二人が音楽を始めたきっかけは何でしたか?

ルイーザ氏: 先に私がお答えしますね。私は音楽家の家庭に育ったわけではなかったのですが、両親は音楽を愛していて、私に音楽教育を受けさせたかったようです。8歳の時、兄弟と一緒にピアノを始めたのですが、両親が私に他の人とは違った何かがあることに気づいてくれ、伸ばそうとしてくれました。普通大学に進むか、音楽の道に進むか悩んだのですが、ローマの音楽院に進学することを決めました。20歳で卒業した後、オーストリア・ザルツブルクのモーツァルテウム大学のピアノ科に進み、2つ目のディプロマを取得しました。その後、さらにローマのサンタ・チェチーリア・アカデミーやイタリア・シエナのキジアーナ・アカデミーで学んだり、パウル・バドゥラ=スコダ氏やブルーノ・カニーノ氏などと勉強したりしましたが、その頃から演奏活動も始めました。キジアーナ・アカデミーで出会った友人であり、素晴らしいピアニストである岩崎淑氏、彼女の弟であるチェリストの洸氏が、長年にわたって企画開催されていた沖縄の音楽祭にも参加したこともありますよ!マスタークラスとコンサートが一緒になった音楽祭だったのですが、世界中から教授陣が来ていました。もちろん私が岩崎淑氏をイタリアに招いたこともあり、弟の洸氏やパガニーニ国際コンクールで最高位を受賞した渡辺玲子氏とも何度も共演しました。

当時、日本経済新聞の文化セクションにおられたモリモトサチコさんが、全国各地の美術館でのコンサートシリーズを企画してくださり、日本各地を訪れることもできました。彼女の企画力は素晴らしかったですね。コンサートで行く先々で、日本の文化や食にも触れることができ、私の音楽人生の中でも大切な経験になりました。

実は、とても遠いのですが、私の母方の先祖に日本人の血があると聞いていて。1500年代に遡るのですが、日本人がローマ法王を訪ねた時だそうです。それもあって、日本に母を連れて行けたことも、興味深かったです。私にとって日本は、音楽でも音楽以外のことでも喜びを感じられた国でしたね。

 

-日本との繋がりをたくさんお持ちだったのですね!なんだか嬉しいです。

ルイーザ氏: そうなのですよね。日本は本当に好きな国の一つです。日本の文化と芸術をとても尊敬していますし、音楽家にとっても良い国だと思いますね。興味を持って聴いてくださる観客が多いし、コンサートホールはどこも素晴らしいところばかりでした。そして、日本のピアノについても触れないわけにはいけませんね…実は自宅にはスタンウェイを持っているのですが、日本ではクオリティの高いヤマハのピアノを使わせていただいていましたし、日本の技術者の方達も本当に素晴らしい仕事をされていらっしゃいました。

 

-ルイーザさん、ありがとうございました。次はマルチェッロさん、音楽を始めたきっけについてお話いただけますか?

マルチェッロ氏: 音楽を始めた頃の環境はルイーザと似ていて、音楽家一家ではない家庭で育ったものの、家族はクラシック音楽やレコードが好きで、私自身も幼い頃から聴いていました。両親は私がベートーヴェンやその他の作曲家の音楽を聴いて毎日過ごしていたのに気づいてくれ、父がピアノを習わせてくれました。10歳の時のことでしたね。でも、私のお気に入りの楽器は、ヴァイオリンだったので、音楽院ではヴァイオリンで入学しました。20歳で卒業した時に専攻していた楽器は、ヴィオラだったのですが…そしてその後も勉強を続けました。作曲の勉強をした後、ローマの音楽院で指揮のディプロマも取得しました。

 

-大変幅広く学ばれたのですね。

マルチェッロ氏: そうですね、ECユース管弦楽団 (現: EUユース管弦楽団)にヴィオリストとして参加もしていました。サンタ・チェチーリア・アカデミーでも何度か演奏しましたし、とても良い経験をさせていただきました。
20歳の時に楽器演奏から離れて、指揮の勉強に集中することにし、ローマの音楽院でディプロマを取得しました。その後イギリスとルーマニアでも勉強し、再びイタリアに戻り、ローマのキジアーナ・アカデミーでヴァレリー・ゲルギエフ氏やチョン・ミン・フン氏とも学ばせていただきました。その頃から、イタリアはもちろん、ドイツ語圏の国々、フランスなどで演奏活動をするようになりました。同時に指導にも力を入れるようになり、ヴィオラを長年教えていましたし、指揮は24年前からイタリアのラクイラ音楽院で教えています。

 

-ところで、お二人はどのようにして出会われたのですか?

マルチェッロ氏: 同じ学校で教えていて、同僚として出会ったのです!

ルイーザ氏: 一度も会ったことはなかったのですが、二人ともローマに住んでいて、共通の友人もいました。

 

 

-そうだったのですね。もう少しお二人の学生時代について詳しくお伺いできたらと思います。このインタビューの読者の中には、音楽留学を考えている学生さんもいらっしゃると思うのですが、海外で勉強することは、母国であるイタリアで勉強するのと比べて何か違いがありましたか?

ルイーザ氏: 私が学生だった頃は、それぞれの国で違ったシステムがあったように思いますが、現在はヨーロッパならどこの国も似ているように思います。もちろん、音楽へのアプローチや伝統が国によって違うので、そこはいくらか違いがあるかもしれませんね。私の恩師で、作曲家でもあったセルジョ・カファロ氏は、とても厳しい方でしたが、この経験は、私がザルツブルクで別の先生に習った時にも大きな助けになりました。私にとって、オーケストラと共に演奏することは、(表面的にではなく)深く追求したいことだったのですが、何度も来日されているヴァイオリニストのライナー・ホーネック氏と10年間ご一緒していた時は、かなり勉強させていただきました。

 

-そうですよね。他の音楽家との関係はキャリアを築いて行く上で鍵になりますよね。マルツェッロさんの学生時代、海外との繋がりはどのようなものでしたか?

マルチェッロ氏: 私は先ほどお話ししたローマの音楽院でヴィオラを学んだ他に、イタリア・フィエーゾレの音楽学校でもヴィオラと室内楽の勉強をしました。この学校は、私立の音楽学校でしたが、イタリアのクラシック音楽界の重鎮で、イタリア弦楽四重奏団のヴィオラメンバーであったピエロ・ファルッリ氏が設立したものでした。イタリア各地から一ヶ月に一回、学生たちが集まって来て共に学びました。この経験は、そのあとの私のキャリアにとても大切なものになりましたね。ローマの音楽院で指揮をブルーノ・アプレーア先生と学びました。音楽院での数年間は、本当に多くのことを学びました。
ルイーザのようにアカデミーではないのですが、海外で夏期のマスタークラスにも参加しました。イギリスのダーティントンで開催されたサマーミュージックスクールはとても良い経験になりました。

 

-音楽家としてのキャリアは早いうちに始められたのですか?

マルチェッロ氏: 29歳の時でした。ありがたいことにたくさんのお仕事をいただいていたのともう学生生活を終えたいと思っていた時期でした。

 

-音楽家のキャリアは、いつ始まった、と言うのは難しいと思いますが、マルツェッロさんにとってそのような時期はありましたか?

マルチェッロ氏: そうですね…はっきりとこの日、というのは難しいですが、1994年にオーストリアのグラーツ・シンフォニー・オーケストラ首席指揮者のファビオ・ルイージ氏に招聘していただいたのをきっかけに、何度か呼んでいただいた時ですかね。後に首席客演指揮者に就任しました。この経験は、海外でのキャリアの第一歩でしたね。

 

-ルイーザさんはいかがですか?

ルイーザ氏: 私は、17,8歳の頃から演奏活動を始めて、ヨーロッパ内やアメリカ、日本、中国などを回りました。特にトリオやデュオで演奏することが多かったのですが、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の第一チェリストであるルイージ・ピオヴァーノ氏との活動はとても印象深く残っています。キャリアがいつから始まった、と言うは難しいですが、少しずつ積み上げっていった、といった感じでしょうか。また、ザルツブルクのモーツァルテウム大学で学んだことは、その後の音楽人生において重要な出会いが多くありました。特にオーストリア人やドイツ人の音楽家たちと知り合えたことは大きかったです。ドイツ語を知っていたことは、ドイツオペラや歌曲のレパートリーの幅を広げることにとても役立ちました。歌手の方達とピアニストが仕事をする時には、演奏する曲の言語を知っている必要があります。私は最初にドイツの音楽を選んで、次に19世紀の作曲家、トスティなどの歌曲を深く掘り下げていきました。

 

-ありがとうございます。ところで、お二人はなぜローマからミラノに拠点を移されたのですか?

ルイーザ氏: 今、ミラノの国立ヴェルディ音楽院で教えているのですが、そのオファーをいただいたのと、長くローマに住んで仕事をしていたので、新しい街に住むことに惹かれたのです。それに加えて、私たち夫婦はミラノにたくさん友人がいたことも大きかったです。息子もボローニャ(ミラノから特急で1時間15分)に住んでいるので、ミラノに拠点を移して、家族に会いやすくなったのも良かったです。

 

 

-私自身何度かローマに行ったことはあるのですが、住んだことはありません。ローマとミラノの音楽事情は違いがあると思われますか?

マルチェッロ氏: ローマは、ローマ歌劇場やそのオーケストラ、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団などはイタリア国内でもとても重要なポジションにいると思いますし、レベルも高いです。指揮者のダニエレ・ガッティ氏をはじめとする有名な音楽家や興味深いプロダクションも多くありますね。いくつかの室内楽オーケストラもとても素晴らしいシーズン・プログラムを展開しています。ただ、音楽院の企画や個人の音楽活動は、ミラノよりは控えめかもしれません。

ルイーザ氏: ミラノのヴェルディ音楽院は、学校主催のコンサートが多くありますし、それがミラノの街の一般の人にも認知されているな、という風に感じます。ミラノは他のヨーロッパの大都市に比べるとそう大きくはない街ですが、享受できる文化は、ヨーロッパ内でもかなりレベルが高いと思います。だからこそ、学生が集まってきますよね。ミラノには、クラシック音楽だけでなく、ポップスなどを学んでいる学生もいます。そして何より、オーケストラが多くあるので、学生にとっても良い環境、チャンスがありますね。

 

-ルイーザさんは、プライベートレッスンもされていらっしゃるのですか?

ルイーザ氏: 今はあまり時間が持てないので、していないです。音楽院内では、様々な種類の活動があるので、そのような場所で教えるのはとても嬉しいですし、(自分自身の)コンサートのお話しも有難いことに多くいただくので、時間がないというのも現状です。15年ほど、音楽祭の音楽監督を務めたこともありました。

 

-そうなのですね!興味深いです。

ルイーザ氏: ああ、それとオーケストラの音楽監督も2年半ほど務めていました。音楽祭もオーケストラも、私にとってとても挑戦的なものでした。でも、イタリアが最初のロックダウンになったとき、教えることと、自分の演奏に改めてフォーカスするようになりました。

 

-音楽祭はどのようなものだったのですか?

ルイーザ氏: その音楽祭は、イタリアのラクイラという街で開催されていたのですが、2000年から2015年まで音楽監督として関わっていました。ラクイラの音楽院で教えていたので、そのご縁でした。世界中から有名な音楽家がゲストとして招かれていましたよ。

 

-ルイーザさんの先生としてのお話についてもう少しお伺いしたいのですが、生徒の皆さんに教える時に大切にしていることはありますか?

ルイーザ氏: 生徒たちのアーティスト・音楽家としての個性を伸ばすこと、ですね。才能や技術、天性の身体能力も重要ですが、誰とどこで勉強するか、というのがとても重要です。だからいつも生徒たちには、先生を探す時は気をつけて、良い先生と出会えるようにベストを尽くしなさいと言っています。技術を伸ばすことに直結しますからね。

外国人の生徒たちには、(クラシック音楽が生まれた)ヨーロッパの文化の知識をつける大切さを伝えます。例えばある時代の作曲家の作品を勉強するとき、その当時の歴史背景や文化を知らなければ、本質的にその作品を理解することは難しいですよね。それから、言語を学ぶことも作品を読み解いたり、演奏したりする際に重要な要素の一つです。アジアの学生さんたちは、特に頑張っていらっしゃると思います。集中力もありますし、学ぶことに対する気持ちが強い方が多いと感じますね。言語を一度マスターしてしまえば、可能性がとても広がると思います。

 

-ルイーザさんの外国人の生徒さんは、何人いらっしゃるのですか?

ルイーザ氏: 半分が外国人です。ほとんどがミラノに住んでいて、日本人、韓国人、中国人や他のヨーロッパの国の生徒がいますね。

 

-そうなのですね。ありがとうございます。マルチェッロさんは、教える際に大切にされていることはありますか?

マルチェッロ氏: そうですね…音楽は、アーティスト性、テクニック、文化、メンタルなど、たくさんの要素がありますから、全てを教えるということは不可能ですね。でも、基本的なことや曲のアプローチに対するアイデア、技術、アーティストとして基本的に知っておくべきことなどは伝えられると思っています。指揮を教えるのは特に難しくて、毎日の練習など日常的なことから、もっとスケールの大きく深い部分のことまで指導しなければならないので、私にとっても常に挑戦です。楽器専攻の学生は、先生や彼らの楽器ととても近い関係性があるように感じますが、それは指揮者にとっては不可能です。というのも、指揮者の勉強をするには、20人から50人のオーケストラメンバーが必要ですし、実践的な経験を積める場を見つけるというのがそもそも大変です。質の高いピアノを見つけることは、大体どこの街行っても難しくないですが、オーケストラを見つけるのは難しいです。その点ミラノは、とても恵まれていると思いますが、学生さんにとっては物価が高く、他の街に引っ越してしまう人もいますね。

指揮の指導に関しては、たくさん言いたいことがあるのですが、2つだけ。1つ目は、指揮者になりたい学生は、どのくらいの実践練習を積めばいいのか、そしてどれほどその練習を積むことが難しいのか、ということを理解するのが大変だということです。リハーサルはどのように成り立っているのか、オーケストラのメンバーとの良い関係を築くにはどうすればいいのか、どうコミュニケーションをとるか…など小さなこともありますね。

2点目は、技術面は大切ですが、自分自身が何をしているかを理解するものに過ぎないということです。音楽の特性や意味を理解すること、曲の意義・表現・内容、アーティストなど…指揮者になりたい人は、それらを理解していなければならないのです。そうでないと、指揮者になる意味がありません。

 

-日本の音楽大学の授業では、ソルフェージュのレベルが高いので、日本人の学生が楽譜を読むスピードは速いと感じるのですが、音楽における感情表現は(西洋人に比べると)十分ではないなと感じることがあります。もちろん一概には言えませんが…

マルチェッロ氏: 技術は、一つの道具であって、手段です。必要なものでありますが、それだけで何ができるでしょうか…?文化の違いの問題でもありますよね。もし、クラシックの音楽家としてのキャリアを築きたければ、クラシック音楽が生まれ、発展してきたヨーロッパやアメリカで勉強する必要があると思います。(留学をした)日本の音楽家はとてもレベルが高いですし、国際舞台で活躍している方も多いです。

第二次世界大戦中に、ヨーロッパからアメリカへの移民の歴史がありますが、人だけではなくて、文化も移動しました。南アメリカでも、ハンガリー人、ロシア人、イスラエル人、ポーランド人の先生と学ぶことができると思います。

 

ルイーザ氏: ヨーロッパの文学やアート、音楽を知ることはとても大切だと思います。いつも私の生徒たちには、(音楽と関わる)歴史の文脈を研究したり、ロマン主義・デカダン派などの重要な芸術運動を理解したりすることを強く勧めています。
大切なのは、ありきたりに表現をしないことですね。ベートーヴェンの作品を理解するにあたって、彼の考えは何だったのか?なぜ博愛についてのテーマを取り上げているのか?また、スタイルの違う二人の作曲家がいたとして、彼らの違いは何か?なぜ違うのか?これらの質問に答えていくことが大切だと思います。

 

-ありがとうございます!最後のご質問です。この新型コロナの影響で、多くの学生が厳しい状況に立たされ、海外での勉強を断念せざるを得なかったと思います。もちろん、状況は今よくなってきている中ではありますが(対談は2022年1月)、この時代においてでもできることなど、学生さんたちにアドバイスをお願いできますか?

マルチェッロ氏: 簡単ではない質問ですね…全ての人にとって、大変な時期ですが、できる限りのことをやる、ということでしょうか。これからオペラの仕事でドイツに行くのですが、歌手とオーケストラは、ソーシャルディスタンスを取らなければいけないし、毎日陰性証明を提出しなければいけません。でも、前向きにできることを一つ一つやっていくしかないと思います。他には、この期間を譜読みや曲を聴く時間にあてるのも良いと思います。今は、テクノロジーのおかげで、資料を探したり、ビデオを観たり、音楽を聴いたりすることが簡単ですから、今までは時間がなくてできなかったことをやってみるのも良いかもしれません。もしパンデミックが30年前に起こっていたら、本当に何もできないままだったかもしれませんが、今はやろうと思えば色々可能性はあります。

ルイーザ氏: 学生さんたちは、(勉強するにあたって)助けを求めるべきだし、助けられるべきです。彼らが勉強したい国で安心して暮らし、その国で何をしたいかを見つけるまで、彼らの母国からの援助が必要だと思います。同時に、学校・オーケストラ・財団などが、海外からのアーティストを招聘し、学生さんたちに新しい経験を積む環境を作るべきですね。親御さん、先生、国などは、新しい世代の音楽家たちを可能な限り助けるべきだと思います。特に若い方たちは、このロックダウンで大きい影響を受けたと感じますしね…若いうちにしておくべき大切なことの一つとして、世界を知ること、があります。そして、もしそれが自分の力でできないのであれば、援助が必要です。イタリア、日本、世界中の若い才能を助けて、また新たな世代へ繋げていくことが大事ですね。