朝クラ
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世界で活躍する音楽家との対談 Vol.5~新垣有希子(あらがきゆきこ)さん~

こんにちは!イタリア・ミラノ留学中の清水優美(しみずゆみ)です。
今回は、世界で活躍する音楽家との対談シリーズとして、イタリア・ミラノ在住のソプラノ歌手・新垣有希子(あらがきゆきこ)さんにお話を伺いました。

 

新垣さんは、東京藝術大学・大学院と進学、日本でオペラ歌手としてキャリアを積まれた後、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてイタリア・ローマでの留学を開始。その翌年2009年からはイタリア政府奨学生、野村財団奨学生として、イタリア・ボルツァーノのコンセルヴァトーリオ(音楽院)で勉強されました。

コンセルヴァトーリオ在学中から、イタリアでもプロのオペラ歌手として活動を開始され、『ジャンニ・スキッキ』で伊デビューを果たした後、『ドン・ジョヴァンニ』『ブルスキーノ氏』『魔笛』等イタリア各地の公演に出演。

日本国内では、佐渡裕指揮『ヘンゼルとグレーテル』グレーテル役、日生劇場50周年記念公演にて広上淳一指揮『フィガロの結婚』スザンナ役、二期会本公演でもリュー、イリア、ジルダ、ラウレッタを演じ好評を博されています。

2019 年にはスロベニア国立劇場で『蝶々夫人』タイトルロールデビュー、同役をイタリア・ リボルノゴルドーニ劇場でも主演され、日本、イタリアに留まらず、様々な国でご活躍されています。

 

そんな新垣さんに貴重なお時間をいただき、留学中のエピソード、歌手としてのキャリアについてだけでなく、本番前のルーティンや大切にしていることなど、じっくりお話を伺いました。

 

 

-この度は、インタビューをお引き受けくださり、ありがとうございます。お伺いしたいことがたくさんありすぎて選別するのが大変でした。まずは、新垣さんが音楽と、どのようにして出会われたのか、きっかけなどをお聞かせいただけますか?

きっかけは、子供の頃からピアノを習っていたことです。東京の国立出身なので、上手な子供達が近所にたくさんいました。

 

-そうなのですね!国立には、国立音楽大学付属の高校までありますよね。エリア的に、音楽ができる準備が整っている環境という感じだったのでしょうか。

はい、楽譜屋さんは全国どこの駅前にもあるものだと思っていました!でも周りのピアノを弾ける子たちのレベルがものすごく高くて、到底私にはできないなと思っていたのです。

近所の裏の〇〇ちゃんは〇〇コンクールで全国優勝、お隣のお姉ちゃんは〇〇大会に出場というのが日常茶飯事で、私は絶対やらない、と子供ながらに決めていました。ただ、その中にいたから絶対音感や和声感などは、普通に鍛えられていましたね。

 

-ソルフェージュなども小さい頃から習われていたのですか?

そうなのです。あとは、児童合唱団に入っていて、”歌うことは遊ぶこと“みたいな感覚でしたね。「今日は何して遊ぶ?」「じゃあみんなでハモって遊ぼう!」みたいな。

 

-音楽が小さい頃から身近にあったという感じですね。

ご近所のお友達は音感のいい優秀な子たちが揃っていて、すぐ三声とかに分かれられたのです。

 

-それはすごいですね!

“音楽が遊び”という感覚だったので、お人形で遊んだり、踊ったりするのと同じ感覚でしたね。

 

-そこから音楽系の中学、高校と音楽の学校に進まれたのですか?

中学は普通校の女子校に行って、その後音楽高校に行きました。

 

-そうなのですね。意外でした。

音楽の道は行かないと、決めていたので(笑) でも、そこでまた、音楽にはまってしまいました。中学校の結構しっかり活動している合唱部に入部してしまったのです。朝7時半から朝練して、コンクール出場して、といった感じで。そこで生まれて、初めて一生懸命練習したのです。

その時に、今までできなかったことができるようになったとか、ちょっと上手になったとかということに感動を覚えるようになったのです。やっぱり中学生って多感な時期ですよね、だからハマると、すごいじゃないですか。私もすっかりハマってしまって、“どうやって歌ったら上手になるか”とか、“どうやって高い声出したらいいか”とか、はたまた“アルトのパート練を強化してみよう!”とか、考えていましたね。さらに、プログラムまで組んで練習して、みんなで全国大会目指す!みたいな、青春をしていたのです。やっぱりコンクールの雰囲気とか、みんなで舞台に上がってブルブル震えながら歌ったりすることに、もうすごく感動してしまって。結果が出ない時はもちろんみんなで泣いたりして。そういうのが、とても楽しかったのです。甲子園のようでしたよ。今考えると合唱部は体育会系でしたね。

あとは、すごく好きな歌を聞いたときに、ドキドキして、何度も聴き返して、ああ、“これを上手に歌いたい”と思うこともありました。これらがきっかけですね。

 

-その後、国立音楽大学付属高校を受験されるわけですね。

そうです。中高一貫の中学校だったのですが、高校は国立音楽大学付属高校を受験しました。
先ほどお話したドキドキする気持ち、歌うのが大好きな気持ち、感動する気持ち、をどこに矛先を向けたらいいかわからなかったのです。例えば、恋をして好きな人ができたら、バレンタインにチョコレートを渡そうとか、好きって言おう、とかありますよね。
でも相手が音楽で、得体がないし、話すことができないし、“もうどうしたらいいか分からない!”となって、悩みぬき、この気持ちをどうしよう…と考えていた時に、“あ、音楽家になろう” と思ったのです。 そこでスッと落ち着いて、矛先が決まったのです。目指す先、行き先が決まったというか。

 


オペラ『魔笛』より イタリア・ピサにて

 

-そうだったのですね!

少し変わっていますよね(笑) 大人になってからあまりそういうことないな…やっぱり多感な時期だったのかもしれません。

 

-私も合唱から音楽を初めたので、気持ちがよく分かります。この欲求をどこに向けたらいいのだろう…!という感じですよね。

そうなのですよね!それから、みんなで1つのものを作っていく楽しさを知ってしまった、という感覚もありましたね。

 

-すごく興味深いエピソードですね。 ありがとうございます。少し時間を飛ばすのですが、高校、大学と進まれて、大学院の修士課程でも学ばれたあと、すぐに留学には行かずに、日本でまずはプロとして、キャリアを積まれました。これは先生からのアドバイスだったとのことですが、先生の思い、真意というのはどのようなものだったのでしょうか?

すごく葛藤はありました。私はもうすぐにでも旅立ちたかったので。
イタリア語は、学生の頃から長期休みの間に、勉強しに来ていたのです。だから、下準備は出来ていると思いこんでいて、すぐにでも行きたい!というのがあったのです。
でも、その私の師匠・伊原直子先生から、“学生の続きで、卒業して、次にすぐ留学、という流れで行くべきではない”と、アドバイスをいただいたのです。最初は意味がわかりませんでした。“一度プロになってから行きなさい。日本で舞台を踏んで、仕事をしてから行きなさい”とおっしゃったのです。

 

-それは先生ご自身のご経験からのアドバイスだったのでしょうか?

先生もそうでしたね。先生もとても若い頃に日本でデビューされてお仕事が忙しく、他の留学生より遅れてドイツに行かれたそうです。

 

-年齢を重ねてからの留学でも遅くない、という先生のお考えだったのでしょうか?

先生は、それでも遅くないというお考えでしたね。 もちろん、早い方がいいことも、絶対あると私は思います。最近はオーディションの年齢制限も若年化しているので。

 

-勉強するには、海外に出るのは早い方がいいけれども、海外でキャリアを積むには、日本で一度仕事をしてから海外に出た方が良いということでしょうか。

そうですね。こればかりはそれぞれだと思います。何を目指すかにもよりますね。実際にオペラの現場って大体同じなのですよね。その現場のルールというか、どのくらい準備していて、どういうふうに稽古が行われて、公演当日を迎えるか…という段取りが。私の場合は、日本でまず仕事をしてからイタリアに来たので、だいたいもう流れがつかめていたのです。

 


オペラ『カルメン』より イタリア・トリエステにて

 

-そうなのですね。実はちょうどこの後、日本とヨーロッパの現場の違いをお伺いしたかったのです。

1番大切なことは同じですね。 自分でしっかり準備をしていくことと、演出家や指揮者によって毎回様々な好みや解釈のリクエストが変化球のように沢山飛んでくるので(笑)自分のこの役、音楽はこれ、という芯をちゃんと持って現場に行くことでしょうか。皆さんそれぞれに1番いいと思っているものを提案しますよね。そこで、自分の演奏が分からなくなってしまうととても残念です。周りからのアドバイスやリクエストを上手に消化しながら本番に向かっていくのが大事だと思います。そこから自分一人では出せなかった表現が出てきたりして、また感動するのです。

 

-その部分では、日本も海外でも同じなのですね。逆に、ここは違うなとか、文化の違いとか、そういうものを感じられたご経験はありますか?

はい、文化と教育の関わり方が、日本とイタリアでは違うな、と思います。
子供のための公演以外にも中学生や高校生がオペラのリハーサルを見に来ていたり、学校と劇場が連携して子供たちにスタッフさんのお手伝い体験をさせたり、文化が根付いているように思います。劇場はかっこいいところ、とイタリア人の子供たちは認識していて、公開リハーサルはサッカー場のような熱気で溢れたりもします。

 

-それから例えば、パートナーの方が現場にご同行される、されないというのは、日本と海外で違いますか?オーディションなどでも、パートナーが付き添いで来るというのを聞いたことがあるのですが…

確かに、こちらでは普通にありますね。リハーサルや本番でもパートナーがいらしたりします。打ち上げにもカップルで来たりしますね。でも日本だとゲネプロなどで旦那さんが来ると、少し戸惑われることがありますね。日本は割と単独行動が多くて、それは少し寂しい部分ですね。海外だと、赤ちゃんや犬まで連れてこられる方もいらっしゃいます。劇場事務所が犬だらけだったこともありました(笑)

それから、少し面白いこともありましたね。私の主人がピアニストなのですが、私がオーディションの為に、イタリアのミラノからパドヴァという街に行かなければならないことがあり、「(パドヴァまで)付き添いするよ」と言ってくれたのです。
*イタリア語で”付き添い”は”accompagnare”だが、ピアニストが歌手やその他ソロの演奏家のピアノ伴奏をする時も”accompagnare”を使う

でも、私は(ピアノで“accompagnare”の方の付き添いと勘違いして)、「付き添いは嬉しいけれど、多分オーディション会場には、劇場のピアニストがいらっしゃると思うから、私だけピアニストと一緒に行ってしまうと、気分を害されてしまうといけないなぁ…」と、呟いたのです。そうすると主人が、「いやいや、僕は弾かないよ。車でパドヴァまで一緒に行くよ!」と返事をしてきたのです(笑)

 

-あはは!言葉の勘違いが生んだ面白いエピソードですね!新垣さんとゴルラさんご夫婦ならでは、のエピソードで、思わず笑ってしまいました。
さて、少し話題が変わってしまうのですが、新垣さんは、文化庁新進芸術家海外留学制度研修員としてローマで研修をされた後、イタリア政府の奨学生として留学先をイタリア・ボルツァーノに選ばれましたが、やはりこの先生と勉強したい!というのがあったのでしょうか、それとも勉強するための環境が良かったとか?

一緒に勉強したいと思える先生方がいました。あとドイツ語のレパートリーも学びたかった。留学のためのビザを取るのに、国立のコンセルヴァトーリオに入る必要もあって。 当時手続きがすごく厳しくなったばかりで、とても大変だったのです。

 

-そうだったのですね。私も、留学前のビザ取得に関して、新垣さんにとても助けていただきました。その節はありがとうございました。中々ビザ取得の手続きが思うように進まず、どうなることかと思っていた時期に、新垣さんから、「私もイタリア出発前日にビザを取得できたよ」とメッセージを頂いて。「あ、もうちょっと頑張ろう」と思えたのです。と、話が逸れましたが、ボルツァーノのお話をぜひ詳しくお聞かせください。

ずっと、ドイツ語もできなきゃという考えがあったのですよね。ボルツァーノは、イタリアなのですが、二ヶ国語の地域でドイツ語も学べて、しかもすぐミラノにも降りてくることができたのです。あとは、自然が素晴らしくて!

 

-イタリアにいながらドイツ語を習得できる、ドイツで働く可能性もできるかも、というのを戦略的にというか考えられたのは、もうローマにいらした時からだったのですか?

そうですね。

 

-イタリアで勉強されて、その後仕事のためにドイツに行かれるという方もいらっしゃいますよね。

そうですよね。でも、私はイタリアがやっぱり好きだったので、イタリアにはいたかったのですよね。駅を降りた瞬間に、これは良い声が出るだろう、と思ってしまって即決しました。

 

 

-そうなのですね!

でも、皆さんはそういう決め方しないでください(笑)
ドイツ語を学べたのは、とても大きかったですね。ドイツ語とイタリア語って、文法もかなり違いますし。

 

-ドイツ語を習得すると、ドイツはもちろん、ドイツ語圏のオーストリアでもお仕事ができますよね。

そうなのです。可能性が広がりますね。そこでラッキーだったのが、ハイドン・オーケストラという地元のオーケストラの公演での出来事です。グスタフ・クーン氏が指揮で、ヤナーチェクの《消えた男の日記》という、2人のソリスト+3人娘の歌付きシンフォニーの公演があったのですが、オーケストラが3人娘を発注し忘れたのです。その時点でゲネプロの2日前ぐらいで、急にだれかいないか、と探し始めたそうなのです。そこで、コンセルヴァトーリオから私に連絡がきて、誰かチェコ語で歌える人がいないか、と言われたのですよね。

 

-チェコ語ですか!

全然知らない曲だったのですが、私は譜読みの自信があったので、チェコ語は何とかなると思って、「あ、できます」と言ってしまったのです。すぐに楽譜をもらって、次の日もう稽古に行かなくてはならないスケジュールでした。 それで、周りの友人に、チェコ人のお友達がいないか聞いて見たのですが、いない。でも友人たちに「ピッツェリアに行ったら、絶対に店員さんでチェコ人やスロヴァキア人がいるから、行ってごらん」と言われて、1人でピザを食べに行ったのです。そこで、店員さんに「あなたはどこ出身?」 と聞いたらチェコ語を話せるスロヴァキアの方だったので、「このテキストを読んでくださいますか!?」とお願いしたのです。

 

 

-これは驚きのエピソードですね!本番までになんとしてでも間に合わせるエネルギーが素晴らしいです。

それで、録音させてもらって、その夜は何度も繰り返し読みました。現場には、スロバキア人のピアニストの方がいらして、猛特訓でした。

オファーを受けた時には知らなかったのですが、本番にはRai(イタリアの国営放送局)の放送があって、“ああ、なんで引き受けてしまったの…!” と冷汗をかきながら後悔しました(笑)
それから、Raiの放送のために劇場中の電気を使ったら、なんと公演中に停電してしまって! 劇場にいた人全員が、“何が起こったのだろう…!?” と戸惑っていましたね。指揮者のグスタフ・クーン氏は、「こんなことが起こったのは人生でイスタンブールとここだけだ…」と、おっしゃっていました(笑)

でも、これらの現場での出来事と共に、クーン氏は、私のことを覚えていてくださったのです。公演から3年後、クーン氏が審査員として参加していたオーディションで、「多分マエストロは覚えていらっしゃらないと思うのですが、新垣有希子と申します。3年前にマエストロとご一緒して…」と言ってみたのです。すると、クーン氏は、「ああ!君はあの時の!もちろん覚えているよ…今となっては笑い話だよね!」とおっしゃったのです。結果的にオーディションは上手くいき、私にその後オーストリアの音楽祭で5年間も契約を結んでくださいました。

 

-まさに“ピンチはチャンス”という言葉がぴったりのエピソードですね。その後ボルツァーノのコンセルヴァトーリオを卒業されて、ミラノにいらしたのですか?

そうです。それはもう周りの友人や音楽仲間からの強い勧めでしたね。「いや、でも行ってもなぁ…」とずっと思っていたのです。そうしているうちに、あれよあれよと周りの友人がミラノのアパートを見つけてきてくれて、「もう来月から入居できるらしいよ」と言ってきてくれて。

 

-新垣さんの意思とは別に、頼まずとも、周りの方々が見つけてきてくださったのですね。

周りの方たちが、先生も紹介してくれて、すごく動き始めてくれたのです。私の友人はみんなボルツァーノにいたのですが、彼女たちに「私たちはゆきちゃんに歌ってほしい。友達の関係は、距離では崩れないよ。嫌だったら帰ってくればいいし、2ヶ月だけ行っておいでよ。」と言われて、追い出されたような形になって、ミラノへ向かったのです。

 

-言うならば周りのご友人に”用意された”ミラノ行きだったのでしょうか。

元々ミラノにお住まいの先生のところへ電車に乗って通っていたので、 先生も近くに居らっしゃるし、と思って来てみた部分もありました。“みんながそんなに言うなら、じゃあ行ってみようかな” という感じで。こうした気持ちできたのですが、様々なご縁も重なって、いまもミラノに住んでいます。

 

-そうなのですね。新垣さんのご人徳があるからこそのお話で、とても素敵だなと思いながらお話を聞いていました。実は、このインタビューを読んでくださる方の中には、学生さんもいらっしゃると思うのですが、本番前のルーティーンや本番前に歌のために気をつけていることなど、お伺いできますか?2018年にスロヴェニアで新垣さんがオペラ『蝶々夫人』の主役・蝶々夫人を演じられた時など…

本番前は、とりあえず炭水化物を3時間ぐらい前に食べます。それから『蝶々夫人』の場合は、とにかく体力勝負なのです。歌っていなくても舞台に立っていなくてはならないことがあって、水も飲めないのです。

 

-私も公演後に新垣さんからそのお話を伺ったのを覚えています。なるべく喉が乾かないように、気をつけていらしたのですよね。

できるだけ鼻呼吸にして、黙っている時は絶対に息をするようにしていました。

 

オペラ『蝶々夫人』より スロヴェニアにて

 

-それは大変ですね。舞台の上はとても空気が乾いていますし…。

そうなのですよね。それから、舞台上の見えないところに水を隠して置いていました。
日本の現場では、こういうときは絶妙なタイミングでお水をいただけたりします。そういった部分では日本は天国です。スタッフさんの手厚さが素晴らしいです。至れり尽くせりで、少しでも舞台袖に引っ込むタイミングがあったら、それが10秒だったとしてもお水にストローをつけて、“新垣”と名前付きで出していただけるのです。

 

-素晴らしいですね。

他にも、ヘアメイクさんがすぐメイクを直してくださったり、小道具さんもすぐ小道具を出してくださったりします。日本の舞台スタッフさんには足を向けて眠れません!毎回感動しています。音楽スタッフさんも細かく丁寧にフォローしてくれるので日本のオペラの現場では甘えっぱなしです。

海外だと、とりあえず全部自分で確認しますね。小道具は特に!蝶々夫人が自殺するシーンで、ナイフが出てこないと自殺できなかったりして…!魔笛のパミーナの時もあるはずの場所に短剣がなくて、あるふりをして本番で歌ったことがあります。舞台裏近くにあった刀を持って舞台に上がっていい?と小道具さんに聞いたら却下されました(笑)えー!と心で叫びながら出番が来てしまったので、この短剣は他人には見えない、という設定にしてスポットライトの中に飛び込みました。

 

-それは大変!ストーリーが変わってきてしまいますよね。

日本で全部お任せできることは、とっても良いことなのですが、ヨーロッパだと、あれ?といことが、多々あります。全て確認したほうがいいです!契約書や書類もとにかく確認からはじまります(現実的ですが、私は外国人なのでなおさら面倒なことが多いのです)。このことは、皆さんにぜひ言いたいことです。

 

-確かに、日本の現場に慣れた後に、海外に出たときに、あれ?となってしまいますよね。

そうなのですよね。あれ?と思う事を、できるだけ少なくしたいですよね。

 

-両方をご存じの有希子さんだからこそのお話ですね。

意外と、楽屋でのアナウンスで、「新垣さん、スタンバイお願いします」というのは、同じなのです。海外の場合は気をつけた方がいいかもしれません(笑) 劇場も迷路みたいだったりして、どうやって行くのか急にわからなくなってしまっても、毎回連れて行っていただける訳ではないかもしれませんものね。

これらのことは公演中ですね…公演前の気をつけることは、ご飯をしっかり食べるというのと、あとは楽屋でちょっとお腹が空いた時のために、バナナを持っていきます。喉に引っかからなくて、すぐ栄養が摂れますからね。あとはゆったり声を温める時間をとります。動線や、音楽的に危険なところは毎回チェックします。

 


リンゼイ・ケンプ演出 オペラ『魔笛』より イタリア・リヴォルノにて

 

-柑橘系のものだと、喉に引っかかりやすいですよね。

そうですよね!あとアーモンドとかも引っかかりやすいです。パサパサしたものはやめていますね。あとは、ものすごくストレッチをしています。

 

-ストレッチといえば、オペラとピラティスを融合したオペラティス(OPERATES)も始められましたよね。

そうなのです。ピラティスを10年以上続けているのですが、トレーニングの後、とても声の調子がいいのです。歌う為に必要な筋肉や、使わない方がいい筋肉を明確にお伝えできたら発声で悩んでいる方々のお役にたてるかも!と思い私のパーソナルトレーナーと共にオペラティスを立ち上げました。もっと具体的に皆さんにお伝えできるといいな、と思っています。発声のテクニック用語は『支え』だったり、『ポジション高く』ととても抽象的ですよね。なんとなく歌わずに、どの筋肉をどのように使うと、こうゆう声が出るということが自分でわかるようになるといいですね。本番で緊張していたとしても、精神的にゆとりが出ます。

私自身も本番前は、集合時間よりも少し早めに楽屋に入って、ストレッチと体幹を目覚めさせる軽い筋トレのようなことは必ずします。

 

-日々の生活の中でも、ストレッチ、ヨガなどもされていたりしますか?

歌う前に少し伸ばしたり、ピンポイントでストレッチをしたりしています。以前時間に余裕があったときは、ヨガもゆっくり出来ていたのですが、今は出産後で子育てもあり大変で、スキマ時間があったら、腸腰筋だけ伸ばす!肋骨まわりだけ伸ばす!など、工夫してやっています。これを話し始めると長くなってしまうので、ぜひ皆さんオペラティスをご覧ください!皆さんのお役に立てるといいな、と思っています。

声の為のピラティス OPERATES インスタグラム: https://www.instagram.com/opera_tes/?hl=ja

 

-新垣さんは、一昨年にご結婚、そして昨年にはご出産をされましたが、歌う時の感覚に変化などはありましたか?

歌いやすくなりましたね。私の婦人科の先生も、妊娠中は歌うのが1番いい、と。赤ちゃんがお腹の中にいると、力を入れちゃいけないと思いますよね。でもそうではなくて、歌う時に使う筋肉が赤ちゃんをちゃんと良い場所にキープしていてくれるそうなのです。

 


ミラノのサン・マルコ教会での結婚式

 

-あ、そうなのですね。そうすると妊娠中も歌い続けていらしたのですか?

そうなのです。もう産まれる寸前まで歌っていていいよ、と言われていました。もちろん胃などは圧迫されるのですが、赤ちゃんが良い場所にキープされて、逆子になったりせずに良い場所にいることができるそうなのです。イタリアらしいですよね。 臨月の時にミラノは完全にロックダウン中で検診が全てキャンセルでしたので、歌うことで逆子防止していました。

 

-ご出産された後はいかがでしたか?

ずっと歌っていたので、割とスムーズに練習が再開できました。あとは、中音域や低音域がそれまで苦手で、声が鳴りにくかったところが、すごく鳴るようになりました。

 

-そんな変化もあったのですね。人体の神秘といったらいいのか、興味深いです。

本当ですよね。歌い続けていたおかげかあんまり産後にガタガタということはなかったです。

 

-ありがとうございます。さて、最後のご質問をさせていただきたいと思います。この新型コロナの影響で、私も含め、学生さんたちは勉強するにあたってとても苦労されたと思うのですが、もしアドバイスなどがあればぜひお願いいたします。とても難しいご質問だとは思うのですが…。

難しいですよね…私たち音楽家自身も全てキャンセルになってしまいましたし…。まずは、劇場に元気になってもらわないといけないですよね。

でも、今はオンラインでイタリアの先生とレッスンできるので、もはや東京でも、ミラノでも、シチリアでも、割にコンタクトが取れやすくなって、ちょっと意見を聞いていただくとか、聴いていただくことが、できるようになりました。

もちろん、私は細胞と細胞が震える感じが好きなので、ライブの良さというのは、やっぱり別物だと思っています。対面レッスンだと直接聴いてもらったり、触ってもらったり触らせてもらったり、ということができますし、そちらの方が良いですよね。
でも、オンラインはわざわざイタリアまで来なくても、先生のレッスンのスタイルを自宅にいながら学ぶことができますよね。だから私は逆に、イタリアが近くなったと思います。

 

-確かにそうですよね。ポジティブに捉えれば良いのですね。

そうなのですよね。それで、もっと動けるようになったら、ライブで。やっぱり空気感って大事だと思うので、 イタリアに空気を吸いに来るだけでも違うと思います。

あとは、イタリア語の勉強も、オンラインでレッスンができるようになったので、イタリアが近くなったと思います。世界が小さくなっているので、それをぜひ活用して欲しいです。そして、もっと自由に動けるようなったときの為に、準備ができている状態にしておく、というのが良いと思います。

 

 

-先生とも、もう知り合いになれている状態で現地での留学に臨めますね。そうでないと、現地で一から築き上げていかないといけないです。

まさにそうなのです。以前は全て現地で一からやらないといけなかったですよね。今はそれを、お家にいながら出来るのです。

 

-私も長期留学の前にイタリアへ下見をしに来たのですが、それが必要なくなったということですよね。

むしろラッキーですよね。先生たちも、もうそのつもりでオンラインの準備とかをされていますし。今までは現地にこなければ会えなかったような先生にも、オンラインでコンタクトが取りやすくなりましたよね。

 

-お家にいながら、準備を進められますよね。この度は、興味深いお話の数々をありがとうございました。 私自身もとても楽しく、勉強になりました。

こちらこそ、ありがとうございました。

 

11月21日(日)日本時間21:00から新垣さんのストリーミングリサイタルが開催されます。“A Gift from Milan ミラノからあなたへ”と題して、ご主人でピアニストのルーカ・ゴルラ氏と、オペラの名曲が演奏されます。

限定ライブ配信ですので、要予約です。お問い合わせ・お申し込みは、concert.office.yukiko@gmail.comまで。

 

新垣有希子 Yukiko Aragaki
https://www.yukikoaragaki.com
Instagram yukikoaragaki